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アジアでは中国に限らない。
中国に続きこれもインドネシアも近い将来、石油輸入国になることが確実視されている。
インドネシア情勢はスハルト退陣で一応沈静化したが、あの歴史的な暴動の引きガネがガソリン、電気といったエネルギー価格の大幅な引き上げだったとされていることを忘れてはならないだろう。
インドネシアは現在、石油輸出国であり、OPECの最有力メンバーのひとつといっていい産油国である。
そこにおいてもエネルギーがいかに生活に関係の深い重要・な物資であったか、それを如実に示す例証と・なった。
アジアの有数の中国に続きインドネシアが二十一世紀の早い段階に石油輸入国に転じることを視野に入れれば、当面、波乱要因がないように思える世界のエネルギー情勢も、その底流においては、大きな地殻変動が起きつつあるといっても過言ではない。
この認識はカスピ海問題を考える際に極めて重要である。
その地殻変動の最も具体的なケースといってもいいのが、カスピ海周辺における「資源争奪戦争」であるともいえるわけで、「戦争」という一言葉はいささかジャーナリスティックな表現だが、イラクのクウェート侵攻が地下資源、つまり石油資源をめぐってのものであったことを想起すれば、このカスピ海開発にも、国際紛争の陰りを全面的に否定することはできない。
最近のカスピ海事情を見てみよう。
カスピ海のエネルギー資源が注目され始めたのは九七年の秋というのが一般的な見方となっている。
具体的な事象としては、「世紀の契約」の聞で締結されたことが挙げられる。
この事実は日本ではマスコミを含めてあまり注目されなかったが、これは日本の国際石油情勢への無知の結果であるかもしれない。
その証拠に世界の石油開発関係者の問では文字通りに「世紀の契約」と評価される大事件として受け止められていたのであり、この落差は大きかった。
これにはカスピ海資源の歴史的な位置付けも大きく関係してくる。
端的にいってしまえば、日本にとってカスピ海はごく最近まで全くの無縁の地だった。
実際にはカスピ海資源問題は突然、今、起きた問題ではないのだが、わが国が直接・間接いずれの形にせよ、その存在を実感する場面がなかったのだ。
この地域の原油は、日本なら、ランのゾロアスター教さしずめ新潟の原油が『日本書紀』に登場するような形でも関係しているといわれる。
それだけの長い歴史があることを意味している。
それでも、実際に「カスピ海に原油あり」が世界的に知られるように・なったのは、十九世紀末のことだった。
欧米資本のロスチャイルドあるいはノーベル・ブラザーズ石油会社などが帝政ロシア下のパクー油田開発に乗り出したことで、一躍大油田に発展、注目を集める。
その規模は一九〇〇年代にその生産量が全世界の半分を占めるようになった。
当時、石油は樽に詰められ、船や貨車などで輸送されたが、一部ではタンカー輸送も十九世紀末に始まったという。
また、今世紀初頭には一部にすでにパイプラインができていた。
しかし、油田も、歴史の荒波の中にある。
当然のことながら石油労働者が多くいて、世界を震揺させたロシア革命の中心地のひとつとなったことで油田が徹底的に破壊されてしまう。
このため生産は激減して、革命直後には生産量も世界の約一割を占める程度にまで減ってしまった。
その後、ソ連によって順次回復がはかられ、第二次大戦ではドイツ軍がパクー占拠を企てるとう局面もあった。
それは失敗するが、その後は旧ソ連内に別の油田が発見されたため、その地位は大きく下がってしまう。
また、陸上に続き目下、最も注目されている沖合油田開発も始まったのだが、旧ソ連にはその開発のための技術力がなく、結局、大きな開発には着手できなかった。
このことが現在も結果的にこの地域の資源を温存することになったと分析されている。
その後、八〇年代になって旧ソ連も石油開発政策を立て直し、再度、この地域の開発に大きな関心を示すが、資金・技術力の問題は依然として解決されず、カスピ海及びその周辺に有望なガス・油田があることは確認できたものの巨大開発には最後まで至らなかった。
しかし、ソ連の崩壊でアゼルバイジャンを始め、周辺諸国が独立、独自の外資政策を取ったことで一躍、世界の注目を集める。
なかでもアメリカが九七年夏、この地域の民主化、自由主義経済の構築という政策を明確にしたことで、開発が保証された形となり、カスピ海原油開発に大きな道が聞かれた形となった。
これはアメリカのカスピ海戦略宣言といってもいいものだったが、それにも助走の段階があった。
象徴的な動きとして石油関係者が認知しているもののひとつとしては、旧ソ連崩壊直後にシエプロンがカザフスタンの有名な巨大油田テンギス油田の開発に参画を決めたことだ。
アメリカのカスピ海戦略は面妖なものである。
例えば、最も注目される沿岸国アゼルバイジャンに対する対応。
岡田がナゴルノカラパフ紛争に絡み、天然ガスの対アルメニア供給を停止すると、ただちにこれに対抗して、アゼルバイジャンに対する経済援助の打ち切りを決める。
しかし、九二年秋にアリエフ大統領が訪米した際には、クリントン大統領自らがこの変更を表明、人権外交から資源外交への転換を示唆している。
一五、カスピ海沿岸同の対米依存の姿勢にも大きな変化が起きている。
なかでもウズベキスタンはアメリカのキューバ封じ込めなどの戦略を支持、その姿勢を鮮明にしているし、さらには同国とカザフスタンでは、アメリカ軍の指導のもとに軍事演習が行われるという状況も生まれた。
これにはロシア軍、ウクライナ軍も参加しており、一見、問題はないように思われるが、ロシアの参加はごく少数で明らかにお飾り、アメリカとウズベキスタン、カザフスタンの関係が強調された形だったという。
こうした事実から導き出される答えはこの地域は民族、国家問、国際政治などの複雑な背景を持っているが、アメリカにとって資源的魅力は十分であり、かつ国際政治上も重要な地域という位置付けができたということだろう。
アメリカ、ばかりではない。
最近ではエネルギー問題に不安が表面化してきている中国がカザフスタンに積極的に接近しているほか、インドなども大きな関心を寄せており、文字通り資源争奪戦の様相を深めてきている。
ここで今、なぜカスピ海原油なのか、確認しておきたい。
理由は今、開発ができる地域としては最大の可能性を持っているということに尽きるのだが、原油の埋蔵量については様々な試算があることも事実だ。
日本の石油開発会社の団体である石油鉱業連盟が九七年に出したリポートを参考にすると、石油の埋蔵量一は半分が中東にある。
残るはラテンアメリカと旧ソ連がそれぞれ一割強、その他という具合。
大胆にいってしまえば、中東以外に石油はない、という状況のなかで、旧ソ連領に入るカスピ海原油は小さなパイのなかでは極めて重い位置を占めてくることになった。
それも資源温存が基本方針で外資に厳しい中東に比べて、旧ソ連から独立したアゼルバイジャンを始めとするカスピ海周辺国はソ連崩壊の大きな経済的な打撃から立ち上がろうと、旧西側諸国に手助けを求めている。
石油・天然ガスは旧西側にとっても大きな魅力だ。
両者の利害は完全に基本的に一致したということだろう。
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